鍼灸も鍼灸師も百人百様

鍼灸も鍼灸師もいろいろ。そういうもの、としか言えないんですよね。良く言えば自由で自分の裁量によるところが大きいのですが、それが逆に良くないこともあります。

学校

大学や専門学校など専門の教育機関で規定カリキュラムを学ぶ→はり師国家試験・きゅう師国家試験に合格→鍼灸師(はり師、きゅう師)として国に登録。

これで鍼灸師です。

ここまでの流れはみんな同じで、教科書もほぼ同じ内容のものを使っています。

ただ、学校によって学ぶ内容がちょっとずつ違います。学校によって方針が違いますし、教える人が違うんですから当然です。

教員の持っているベースや好みは教え方やその内容に影響します。現代的なエビデンスベースの鍼灸を重視する教員とナラティブな部分や関わり方を重視する教員では自然と表現や話す内容が変わります。良い悪いということではなく、違ってくるという意味で。

卒後

鍼灸師を養成する学校としては専門学校や大学などがあります。

鍼灸師ではない人は意外に思うかもしれませんが、鍼灸師全員が鍼灸施術を生業にするわけではありません。少数派ですが、業として鍼灸はやらないけど鍼灸や東洋医学を研究したいという人も鍼灸学校に入学することがあります。そこから更に研究するだに大学に進んだり、大卒資格を持っている人が大学院に行ったりということもあります。そのまま研究者の道へ進む人も。

卒後の就職先としては、昔は鍼灸院か鍼灸接骨院の2択という感じでしたが今は多様です。鍼と灸に加えてあん摩マッサージ指圧の資格を持っている人は介護関連施設への就職も結構ありますし、スポーツジムやパーソナルトレーニング施設など治療院以外への就職も増えています。鍼灸教員を目指す人や鍼灸用品のメーカーに就職する人もいます。

学校の方針、教える人の考えや経験、カリキュラムなど、少しずつ違います。卒後に就職するところもみんな違います。

どこか違う

同じ師匠について学べば施術が似てくるものです。見よう見まねだったり、教えてもらったり、それはいろいろですけど。

かつては、、、

弟子入りのような形でどこかの院に所属して院長と寝食をともにしたり同じ趣味のことをやったりやらされたり(笑)

ちなみに、私が学生だった頃の住み込み弟子は「茶碗と箸だけ持ってこい」と言われるようなこともありました。いま思うと凄いですよね。

そんなこんなで考え方や日々の行動を真似していると本当に似てきます。ちょっとした言葉遣いも似てきます。そのうち顔つきまで似てきたり。

でもどこかが違う。

同じ考えで似たような流れで似たような場所に鍼灸治療をしたとしても、全く同じにはならない。当たり前ですよね、別人ですから。

でも、もしかしたら全く同じ鍼灸治療ができて、効き方も実際の効果も同じく出せる人がいるかもしれません。もしそんな場面に出くわしたら本当に感動するだろうな。

同じ人はいない

鍼灸師も患者も全く同じ人は存在しません

工業製品ではないですからね、人は。だから同じことをやろうとしてもできません。鍼灸師ということ以前に、生きてきた道も違いますし。

昔の職人は真似ることで技を習得してきたのだろうと思います。あるあるですが、事細かに教えてもらえないから真似るしかない。口下手な鍼灸師は多いので、だから詳細な説明ができなかったということはあるかも。勢いで強く言ってしまってり。

弟子に考えさせるためにあえて説明しなかったとかもあるでしょうが、だいたい面倒くさいか口下手なんだと思います。

どちらにしてもあまり説明はない。とにかく真似る。だからこそ完コピに近い状態も可能だったわけですよね、きっと。

この「近い」というのが限界です。

まぁ、同一である必要はなく、院を運営するためには「近い」で充分です。自分が院長で、弟子たちがどんどん自分に似てきたら嬉しくもあり怖くもあるだろうなと思いますし。

やったことがないのでわかりませんが、能や日本舞踊などの伝統芸能もそういう面があるんじゃないかと思います。限りなく完璧にコピーし再現するのを追求する中で自分というものが出てくる。そんなこともあるのだと思います。

それに、いずれは師匠を超えたいと思うようになると思うんです、誰しも。最初はとにかく真似て真似て真似つくしても、いつかオリジナルが入ってくる。そんなもんだと思うんです。

答えは一つではない

鍼灸治療で何かしらの結果を出したいとなった時に、その答えは一つではありません。それは鍼灸に限ったことではありませんよね。物事にはいろんな面があります。

同じ病名の人が3人いたとして、3人全員が違う薬で治ることがありますよね。リハビリテーションでも、1つの状況に対応するためのアプローチはいくつもあります。

鍼灸治療もそれと同じです。

同病異治と異病同治

鍼灸や漢方でよく言われることに同病異治と言う考え方があります。同じ病でも治療が異なることがある、という意味です。

同病異治とともに異病同治と言われることもあります。異なる病でも治療が同じこともあるということです。

これらは鍼灸や漢方では馴染み深い言葉ですが、現代のいわゆる西洋医学的な薬物治療でも同じことが起こります。

同じ病名でも使う薬剤はその時々で変わることが多いですよね。また、ある病気の特効薬が、全く異なる病気にも効くことが後からわかったなんていうこともよくあることです。というかほとんどそうなんじゃないかと。

人の身体や何かしらの病気や不調は、一問一答ではなかなか解決しないことが多いものです。だからこそ様々な考えややり方が存在しているのだと思います。

標準化

鍼灸治療の標準化も検討されています。

そのための研究も行われています。何をもって標準化とするか、どこまで標準化するかというところから定めるのはなかなかに難しいことですけどね。

そのあたりの考えが自分の中でまとまっているわけではありませんが、個人的には、鍼灸治療の標準化は非常に難しいと思っています。

院内のように特定の範囲なら標準を作ることもできます。ただ、それが鍼灸師全員となるとなかなか。。

難しいですが、、、標準化を考えていくのとは鍼灸の発展に必要なことだとも思うのです。実際に標準化するしない・できるできないに関わらず、その過程は重要かなと思います。

だいたい川崎たまに鳥取。